プロ棋士の対局の見どころのひとつは「苦しんでいるところ」だと思うという話

将棋を指す人だけでなく、観戦主体のいわゆる観る将も増えている昨今、楽しみ方も多様化し始めています。以前であれば棋譜こそが主役であり、主役は将棋オンリーだったわけですが、難しいことはかわらないけど、なんとなく将棋って見ていて文化的に好きという人たちも登場することで、わかりやすい、将棋めしなどのコンテンツも人気を博してきています。ただ、個人的にはこれらもすごい魅力ではあると思いながらも、是非とも推したいのがプロ棋士たちが長時間の対局の末に、順位戦でいえば22時過ぎあたりから頻発することが多い「苦しんでいるところ」です。

大人が暴れるわけでもなく、ただ地味にひたすらに苦しむ姿がみれる場面はなかなかない。プロ棋士の戦いではこれを見ることができる

子どもはとても素直です。露骨に残念な顔もするし、おもしろくなければ怒り出しますし、ふてくされてしまったりもします。でも、大人になるとそうした姿を見せないように、隠す技術を発達させることで、なかなか表立ってそれが表れるシーンはありません。プロ野球などであれば、バットを頬り投げてしまったり、たたきつけたりと、露骨にわかりやすく体をつかって発散しているシーンはありますが、大人の世界であれはありえません。スポーツだから許される行為ですね。仕事中に、提案している内容が落とされそうになったからと言って、提案資料をなげつけて悔しさをあらわにするなんてことは見たこともありません(いるのかもしれませんが。。。)

みんな必死に、苦しさを我慢して、必死に体裁をとりつくろって生きているのが大人の世界です。もちろんそれはプロ棋士たちも一緒ですが、順位戦の深夜など、ひとりごと、脇息にもたれかかってうずくまったり、露骨に肩を落としたりと、本気の大人の苦しんでいる姿を見ることができます。暴れるわけでもありません。声をあらげるわけでもありません。でも、抑えきれないストレスが、もれはじめる瞬間があります。これを見てどう思うかは人によって違うと思いますが、私は勇気づけられます。

苦しんでるのは自分だけじゃない。こんなに苦しいことに耐えている人もいるんだとわかると共感によって元気づけられる。そういった意味で、苦しみながらも耐えているプロ棋士の姿は美しいし、多くの人を元気づけている(と思う)

大人はうそをつきます。不安なのに大丈夫そうにふるまったり、耐えられないのに大丈夫ですといってみたり、充実していないプライベートを、インスタで着飾ってみたりと、世の中はうそに満ち溢れています。それを知っていたとしても、実際にそうした情報を見聞きしていると、自分だけが苦しんでいるアンラッキーな人なのではないかと思う人がいても不思議ではありません。でも、そんな時に目の前に、多大なストレスを受けながらも逃げず、暴れず、耐えている人がいたらやっぱり少なからず元気づけられるんじゃないでしょうか。私だけじゃないんだなと。そういった意味で、うそのない、プロ棋士たちの悶絶する姿はとても美しい。そしてそれを見ることで元気づけられる人がいるはずで、それは将棋の魅力のひとつではないかと思うわけです。

少なくとも私はそう思いますし、涼しい顔して、感情もないようにふるまい、それでただ将棋をやるだけなのであれば、それこそコンピューターと一緒であり、人がみて共感できるものではないでしょう。やはり、プロ棋士は人としての感情、個性があるべきで、それが対局中に画面越しに、公開対局であれば目の前で感じることができたのであれば、コンピューターでは提供できない唯一無二の価値があるはずだと思います。

プロ棋士のひとりごと、苦しんでいる姿、最高のコンテンツだと思っているんですがどうでしょうか。