新型コロナウイルスと将棋について

気が付けば新型コロナウイルスが登場し、自粛生活がはじまって1年以上が経過しています。その間、社会は大きな変化をしましたが将棋も同様でした。今日はちょっとそんなことについてのお話です。

将棋の対局やイベントのオンライン化が劇的にすすんだ1年

2020年の春、将棋界は大揺れでした。いろんなイベントが中止、順位戦やタイトル戦なども対応が迫られて、あわや順位戦がなくなるかもといった議論なども真剣にあったほどですので、その時のことを思えば感染者が増えているとはいえ、今年は将棋界は安定して推移しているといえます。

これまでいろいろと議論がされていくなかで、インターネットの活用は将棋界でも検討されていましたが、将棋ウォーズや将棋倶楽部24といった、アプリなどの活用がメインで将棋教室やイベントをオンライン化するというのはまだまだ少数派でしたが、これがこの1年ほどで驚くほどの普及が進みました。そのスピードは驚くほどで、ピンチはチャンスという言葉を表す好例ともいえるような結果です。

これまで長年かけて変えられなかった慣習を、たった1年で多くの人が変えることに同意したわけですから、怪我の功名といえるわけですが、残念ながら興行的にはまだまだうまくいっているとはいえないため、収益面でもっと跳ねるような何かができてくることを、将棋ファンとして望むばかりです。応援というのは精神的なものだけでなく、物心両面でしてこそ文化として残せるわけですから、収益もオンラインで大きく伸びることを期待です。

将棋ファンは新型コロナウイルスの影響で増えた?減った?

オンライン化がすすんだことで、将来的には地方でも問題なく将棋を楽しめる、勉強できる環境が整ってきたことは喜ばしいことです。その一方で、将棋をさす人たちはどうかというとここは非常に微妙な気もします。

まずシンプルにみていてわかるのはこども将棋スクールやこども向け将棋イベントの開催数の減少に加えて、参加者が激減したことです。わたしが参加しているところの多くが、緊急事態宣言などの期間かどうかなどに関わらず、あきらかに参加者が減っています。理由はいろいろありますし、いろいろはお話は聞きますが。新型コロナ影響で将棋をたのしむこどもが減っているのは間違いなさそうです。

では、大人たちはどうかというと、コアなファンはいつの時代も関係なく、隙さえあれば将棋に意識がいきますので、そこらへんは変わっていないように思いますが、ライト~ミドルな層はというと非常に微妙な印象です。ここらへんの層の方たちは、将棋そのものが好きというよりも、将棋を通したつながりなどが好きというところもあるので、イベントやスクール、会合が減ると将棋への関心も一気に減っていくのを感じました。昨年の春ごろから休止し、落ち着いたので秋ごろにみんなにご連絡をすると、反応は以前の半分といった印象です。他の支部の方たちにもいろいろ聞いてみましたが、多少の差はあれど似た反応があり、割合は別としてもマイナスの影響はあったようです。

去っていった人たちは戻ってくるのか?どうやって戻す?

年代を問わず、総じて減った、というのが私を含めた周囲の印象です。そうなると気になるのは今後、新型コロナウイルスが収束して日常が戻ってきた後のことで、去っていった人たちは将棋の世界に戻ってくるのかというところです。元々、去る人が多い将棋界ですので、去っていった人をフォローするという文化はあまりなく、あきらめが良い人が多い印象があります。まあ、今回も普通に考えれば戻ってこないのですが、それでもできれば戻ってきてほしいし、残ってほしいし、もっと好きになってほしいと願ってやまないわけです。そのために将棋好きたちは何をすべきでしょうか。

できることなんてない、まあ、次のブームが来るまで待とう、どうせ去っていった人たちは戻ってこない、というのが、この業界の多数派の意見であることは否めません。わたしも当然そう思うこともあるのですが、、それでも将棋を通したコミュニケーションを続けるということだけは、みんながあきらめずに続けるべきではないかとは思っています。

誰かがやっているから、みんなが楽しそうだから、わたしもやってみよう、一緒にやろうというのが、ほとんどの人の将棋のスタートです。これは、周囲にやっている人がいて、その人とのコミュニケーション回数によって、確率が高まっていくものです。さあ、将棋しよう、ほら楽しそうでしょという、将棋と触れる機会、そうしたコミュニケーションをあきらめずにコアなファンたちが、ライト~ミドルな人たちに行い続けることはこれまで以上にがんばっていってほしいですし、がんばっていきたいと思います。あと、職団戦の再開もこうした意味では重要な気もするので早く再開を期待します。

たくさんの人が考える”たのしい”って何だろう?そこから考えるたのしい将棋の話

将棋楽しいですよね。楽しくないと思う人もいるわけですが、それはそれで良いのです。全員が好きになるものなんてありませんもの。みんな自分が楽しいと思うことをやって、それで楽しい時間を過ごせればそれでよいのです。さて、でもそんな将棋好きな人であっても、いや、むしろ将棋好きだからこそわかり、終盤戦の心臓がリアルにどきどきしてくる感じや、血圧があがる感じ、あげくの果てに勝てる将棋をひっくり返されて、終局後、言葉がでないうえに、他のどんなゲームでもあじわえない、どろっとでてくる不快感。あれを味わっていると「なぜこんな思いをしなければならないだろうか」と思う人がいても不思議ではなく、というよりほとんどの将棋好きの人も定期的に思っていることのはずです。

まあ、しばらく時間をおいて体と心を回復させると、次こそは!という思いがより強くなり、将棋沼から抜けられなくなっていくわけですが、率直にいって将棋はつらいです。おもしろいけどつらい。本気の対局などをしようものなら気分転換にはまったくなりません。遊びとわかっていても、途中から本気の自分が顔を出し始めて、終盤では勝っても負けても何が起こるわけでもないのに、なぜか勝ちにいってしまうというのは、将棋好きならわかる話ではないでしょうか。勝ち負けから離れたところで楽しむことが難しい、それが将棋の良いところでもあり、つらいところでもあります。

あんなつらい思いをしたら普通は「将棋ってたのしい」なんて思えるわけもなく、やはり真剣に「楽しめる将棋」について本気で研究する人がいないとまずいのではとも思ったりします。将棋人口って必ず減っていくように仕組みができあがっているのは、こうしたことも遠因となっている気がします。まずお酒飲んでやるとできない、これもつらいですね。みんな大好き将棋ウォーズをお酒を飲んで帰る途中に何局かやったら、連戦連敗で達成率が気が付いたら0になっていた、なんて経験は将棋とお酒の両方を愛している人なら経験があるはずです。お酒飲むと、考え抜くのが難しくなるうえに、しかも盤面全体がまったく見えなくなります。高段者とかになるとここらへん違うんですかね。今度、ぜひ聞いてみたいものです。

ちょっと話はそれましたが、まず「たのしい」ってなんだろうと考えると、人によって違ってきてしまうので世の中のより多くの一般的な人たちに好まれるものというところから考えてみようと思います。そうなると次のような感じになるのかなと。

  1. 心も体もつらくない
  2. みんなで仲良し
  3. 努力がいらない
  4. 好きなコからにもてる
  5. みんなにちやほやされる

わかってはいましたが、軽く書いてみておもったのが、これ、将棋にすべてないものですね。まず、やっている最中に「なんでこんなにつらい思いをしなければならないのか。仕事でもないのに、ああ、もう適当に指しておわらせて楽になりたいな」なんて思いは多少はでてくるくらいつらいですし、それどころか遊びのはずなのに動悸さえするときがあるわけで、心も体もつらいです。負けると、絶望的なショックがやってきます。そうそう。プロ棋士の先生たちの対局でも、対局終了直後にインタビューとか、イベントに顔出したりとかありますが、あれ、改善できないものだろうかなとなんとなく思います。せめて15分休んでからとか、そういう配慮があってもいいんじゃないかなとかは思うわけです。

そしてみんなで仲良くっていうのがありそうでないですね。基本、孤独で、仲間は少しずつ減っていき、オンラインで貴重な将棋仲間と対局を楽しむみたいになりがちです。将棋イベントいくと、こんなに将棋好きな人いるんだ!みたいな気持ちにはなりますが、基本的に内向的な人たちの集まりなので、一方的に話聞くだけで交流とか生まれること皆無ですからね。ここも将棋って悩ましい。

そしてそして仕事も勉強も、いろんなところで、ほとんどの人は努力が嫌いなんですよね。でも、努力しないと楽しいと思えるところまでいくことすらできないというのが将棋の敷居の高さを感じますね。

さらに、せめて、思春期のマジョリティたちに訴求するのであれば、せめてもてる、好きなコにもてるというのはあってほしいが、これもないです。サッカー部とかのほうがもてますね。合コンとかやったとしても、高校、大学でサッカー部やバスケ部にいました、というプロフィールと、将棋にいました、というプロフィールだと、まちがいなくサッカー部やバスケ部に負けます。これはつらい。

いろいろと軽く考えてみると、そもそもなぜ将棋をやるのか?どこが楽しいの?と聞かれた時にこたえられない自分がいるわけで、基本、つらいけど、そこが楽しいという、普通の人たちからは意味がわからないところから話がはじまるのが悲しいです。将棋って楽しいんですけどね。

まず、一般的なたのしい基準で、将棋をたのしいと呼べるものにするためにはどこからはじめるべきなんでしょうか。そもそもでいえば、サッカーとかだって勝ち負けがあって、うまい、へたというのもあり、その結果優劣がつくし、練習もつらいときだってあるはずですよね。そうかんがえると、つらいってだけでは差になっていないんでしょうかね。つらい、は実は普通のこと?じゃあ、すごい差になっているのはなんでしょうね。わかりやすさ、派手さ、目から入ってくるインパクトでしょうか。すごいシュートは、まあだれがみてもすごいですからね。じゃあ、将棋も100メートル先の盤面に向かって駒をなげて、狙いのマスにぴったり落とすとか、そういうのがあるとサッカーに近づくんでしょうか。まあ、やれたらそれは誰が見てもすごいですね。そして、その姿がかっこよければもてることにもつながっていくわけです。フィギュアスケートのトップ選手たち、技術の云々なんてわからない素人がみてもきれいで、なんかすごいですよね。そしてもてます。これ、思春期をとりこむために重要な要素ですから、駒を放つ姿が美しすぎて、Youtubeで再生回数がうなぎのぼり、マネする人があらわれるとか、そういうレベルを目指すとかになるんでしょうか。やはり地味なのが、たのしさを遠ざけてるんですかね。難しいですね。

周りのみんなに聞いてみても、冷静に考えると将棋の何が楽しいのかを説明できる人はいませんでした。先日発売された「教養として将棋」という本に、なぜ将棋はたのしいのかを解説するところがありましたが、あの解説を読んでの感想は、こういう説明にしないといけない時点で、もう一般の人が楽しいと感じるのは不可能なんじゃないかと、悲しさがわいたというものですが、もちろん書籍としても、書かれている先生たちみなさんすばらしいんですが、やっぱり理屈になりがちですよね。将棋って。

言語的な説明や意味なんていらない魅力、これがあるものがやっぱりみんなを魅了するんですよね。インスタやSNSなんてまさにその最たるもので、ちやほやされる、つながれるっていうのは、みんなが楽しいと思うものですが、それに理屈で説明はいらないですからね。”たのしい”ってすごい奥深いですね。

日本将棋連盟が公益社団法人である以上、将棋をビジネスとして展開し、営利を追い求める別組織が新設されるべきなのではと思う話

すべての順位戦も終わり、この時期は将棋界は少しだけ落ち着き、ゆるりとした時間が流れますね。順位戦終盤の誰が上がるのかというところで、見逃せない一戦が続く毎日は楽しくもありますが、こういったゆるやかな時期もまた、楽しくありますね。

さて、今日はみんなご存知の将棋連盟についてですが、こちら、もう将棋と言ったら将棋連盟、というくらい、日本人であれば全員が思うところではないかと思いますが、将棋発展のためを思った時に気になる「公益社団法人」という位置づけについてです。

これはその名の通り、公益、公共、社会といった観点における利益を追求することが義務付けられている組織であるわけですが、そのため営利的な意味合いが強いものは、承認されるためには組織の外に出す必要があったりします。もちろん将棋連盟も、公益社団法人になるために、営利的な意味合いが強いものを外部に譲渡したり、事業としての内容なども調整が必要だったわけです。その結果、公益社団法人になり、大きな目線で見るとメリットは大きく、すばらしい結果になったともいえます。

しかし、その一方で将棋の”営利”、つまりビジネスとしての本気で取り組むことが構造上、どうしたってできない組織となったということであり、いま、将棋界において、ビジネスを本気で展開して、業界全体をけん引する組織がない状態になっています。もちろん、書籍でいえば譲渡先となったマイナビさんは、”将棋もやっている”という表現が適切な状態にあります。また、将棋ウォーズのHEROZさんなどは、AIをプッシュしているいるわけで、上場企業の宿命である、将来の成長性という点では、ゲーム分野においても世界展開を考えると、チェスと囲碁を成長エンジンにしたいというのは、どう考えても致し方ないところであり、決算説明資料をみても将棋をビジネスのメインとして考えているとはいえない状態にあります。つまり、本気で将棋でビジネスを何とかしようと思っている、それがメインの大きな組織がないということになるわけです。

公益を考え、文化として将棋をおしていく将棋連盟に加えて、将棋をビジネスとしてとにかく利益を生み出す、広げていくことを狙う組織があることは、将棋界を今後も継続させていくためには重要なことなのではと思っています。将棋ビジネスというと、将棋バーや、将棋道場、将棋スクールといった労働集約型の規模を拡大させにくいものがほとんどで、どちらかといえば現状の市場規模はそのまま、市場目線でみていくと現状維持を狙ったものが多いのが現状です。成長という観点をもった、人の欲を利用して育っていく資本主義的な事業プレイヤーがいません。

やはり多くの人に愛されるためには、関係者を増やす必要があります。そのためにも将棋に関わると儲かる、といった側面も作り、本気で将棋が好きな人たちが、将棋に集中できるだけの支援ができる環境を作るということも重要だと思います。

日本ではお金の話をするといやな顔をする方も多いですが、お金自体には善悪はありません。善悪をわけるものは、利益を生み出す過程でみんなを満足させたか、だましたりして不満を与えたかといった点です。そしてその利益を何に使うかです。公益社団法人 日本将棋連盟と双璧をなす、利益を追い求め、より市場規模、プレイヤーを増やすための活動を行う株式会社 日本営利将棋連盟、こういったものもあってもいいんじゃないかと思う次第です。

ものすごい儲かれば、職団戦も無料にできるかもしれません。無料で利用できる将棋サロンが各地に作れるかもしれません。それで利用者、ファンが増えれば、スポンサードする企業も増えて、広告費、協賛費ももっと大きなものになるかもしれません。

現状維持を目標にすると、だいたい縮小していくのが世の常です。もっと長く、そして広く、将棋が愛され、続くといいですね。そのためにも営利、考えるの大切な気がします。

将棋ウォーズは将棋倶楽部24と同じ道を歩むのか?それとも?

いまやネット将棋の標準といえば「将棋ウォーズ」という感じになるくらい、安定的に利用者が多く、また知名度も抜群に高い状態になっています。

でも、数年前までは「将棋倶楽部24」が一番の地位的なものを占めていて、「将棋ウォーズ」というとなんとなく、初心者や弱い人がつかう方ですよねという、認知があったように思います。それがいまではどうなっているかというところを考えると、諸行無常を感じる今日この頃です。

そもそも将棋アプリ、ネット将棋のサービスは、将棋を打てればいいわけですから、本質的な価値に差はないわけですが、大きくゲーム性を変えたものとして棋神という、簡単に言えばチート機能が将棋ウォーズにあります。これがあったおかげで、逆にガチ将棋ファンからは、なんとなく下にみられていたわけですが、いまとなっては将棋ウォーズ側においても、高段者たちになると、あまりこの機能が使われいる感じはなく、どちらかというと、始めたばかりの人、中級者くらいまでの人の、将棋を楽しむアシスト機能的になっているように感じます。まあ、もちろん使うときはみんな使うんでしょうけど、何度か改修が加えられるなかで、棋神が前ほどの強さでなくなったことなんかも、こういう良いバランスを生んでいる気もするので、そこは運営者の皆さんの努力のたまものですね。すばらしいです。

将棋倶楽部24が、なんとなく高齢化が進み、なんとなく将棋好きを通り越して将棋フリークのみが使うプラットフォームとなった今、一般的な段位との差が大きくなりすぎて、初心者門戸を閉ざす結果となってしまったわけですが、これにより維持が基本で成長は難しい状態にあるように思われます。この状態は常に新しい人たちが入ってくることと、全体がちゃんと能力分布としてピラミッドになっていないとどこでも起こる現象なわけですが、将棋の場合、どうしても競技人口が少ないので、それが難しく、残念な結果になりがちです。そういった過去の先輩たちの問題を、将棋ウォーズは切り抜けることができるのかというのが、これからの注目ですが、やはりそこはAI、ボットくんたちがいい仕事をしているので、将棋ウォーズには末永く、将棋普及のプラットフォームとして機能してもらいたいところです。同じレベルの人がいないなら、ロボットで作っちゃえというわけですね。これ、競技人口が少ないプラットフォームを運営する中で本当に大切です。

今後、将棋ウォーズがどうなっていくのか、そういった目線でも注目したいですね。

将棋のプロ棋士に求められるのは”強さ”だけではない。 市場、ファンが求めているものを理解しないと将棋はどうやっても衰退していっちゃうと思うので、真剣に対策を考えいきたいなと思うこと

将棋ファンならみんなが気が付いていることのひとつにプロ棋士の若手の台頭があります。先日のAmebaの若手とベテランの7番勝負でも明らかですが、近年、20代の若手棋士がすごい勢いで台頭していきています。そして事実、とても強いですね。たしかに強さはとても重要なわけですが、将棋を後世に残していこうと思う時に重要なのは決して強さだけではないのではないか、それだけを求めていくと将棋そのものが衰退していっちゃうんじゃないかというような懸念を持っていまして、とても心配しています。

電王戦の結果をみても明らかですが、最近のCPUの将棋は非常に強く、プロ棋士すらも負かしてしまうほどです。もし、強さだけを追い求めていったならば、行きつく先はそこと同じものとなるわけですが、じゃあ、みんなが将棋ソフトのファンで応援しているかというと、まったくそんなことはありません。へー、強いね。すごいですね。そういうことは当然思うけど、だからといって将棋ソフトに会いたい、指導対局してほしいなんて風にはならないわけですね。でも、将棋ファンの間で大人気の木村九段は、もちろん強いけれど残念ながらタイトルには今一歩届かない状態が続いています。タイトルを獲得する一歩手前、挑戦するところまでは6回もいっているのに届いていないという方です。奨励会を突破してプロ棋士になったのも23歳と、圧倒的に遅咲きのグループです。それでも多くの将棋ファンは木村九段がイベントに現れると笑顔になり、そして指導対局の機会があれば狂喜乱舞してしまうわけです。この2つの事例から考えると、市場やファンが求めているのは結局のところ、強さだけじゃないというのがわかってもらえると思います。

市場のみんなが求めているのは結局、どのジャンルにおいても”共感”や”あこがれ”であり、強さはそのためのひとつの材料にすぎないというのが、こうした事例からわかってきます。以前、テニス界のレジェンド、ロジャー・フェデラーがBIG4というものを作り、みんなが見たい、会いたいと思うような有名な選手を作ることがテニス界のために重要だと話をされていました。その意図というのは、強い人が分散すると、BIG4のようにわかりやすいアイコンとして認識しづらく、結果、テニス界への興味が減退してしまうというような話です。

「強くてみんなが憧れる上に共感もしちゃう」というようなプロ棋士を育て、アイコンとして機能するように仕組みの改善や、教育、そのプロ棋士のメディアなどへの露出量のコントロールなどを行っていくことが将棋界、全体を考えると必要なんじゃないでしょうか。なんとなく強い人がたくさんいますというだけでは、市場は受け入れてくれないはずです。そういった点では藤井聡太四段とかすごいぴったりですよね。こういう人が何人か登場して、全体で盛り上がっていくといいですね。

将棋の関連ビジネス、市場規模はどうやったら拡大するんだろうか

うちの会社にはスタッフが会社にもってきた、「主」のような将棋盤があります。なんと、利用開始から考えると軽く30年以上はたっている代物らしいのですがまだまだ現役で使えます。もう若い駒だと、明らかに風格負けしてしまって盤が駒を食ってしまうという問題があるものの、まだまだまだまだ活躍中です。この良いものが

消費者としては、それなりのものを買って大切に使えば、長く使えるというのはとてもありがたいことです。きっと環境にも良いので世界にとっても良いことです。

でも、ビジネスとしてはどうだろうかと考えると少し不安になります。

だって、数十年といったらもうそれはそれはすごい昔なわけで、テレビゲームでいえば、Atari 2600、インテレビジョン、ファミリーコンピュータ、スーファミ、メガドライブ、PCエンジン、プレイステーション、ゲームボーイ、3DS、Switchといったように、もう大変な数の名機たちがうまれ、たくさんの人たちが購入し、成功している企業は悪くない売上を上げることができてきたわけです。40年前のものが、いまだに現役で使えるって、これ消費者としてありがたい反面、ビジネスとしてとても心配になります。

職人的にしっかりとした仕事をしてくれている将棋盤や駒、関連商品を作っている人たちが継続していきたいと思ってもらえる環境や仕組み、そしてできれば新規参入者が増えるような魅力的な市場になるとうれしいなと思うんですが、そのためにはやはり普及あるのみなんですかね。何か良策あるといいなと思っています。