将棋が面白くない!という人はけっこういますがそれは当然のこと。それよりも知らない、わからないという人がいるのは普及としては問題

将棋を面白いと思う人はいます。しかし、残念ではありますが社会全体でみるとそれはマイノリティであり、大多数の人はそうおもってはいません。将棋は面白くない、将棋をやりたいなんて思わないわけです。ただ、そのなかに「知っているけど好きじゃない」という人と「そもそも知らない」という人がいます。知っているけど好きじゃない、はっきりいえば嫌いという人がいるのは当然のことで、どんな競技も種目も科目も学問も趣味も、好きな人もいれば嫌いな人もいます。みんなが同じ感性をもっているわけではありませんので、あわなかったというだけで、その人は自分の感性に合うものが見つけて、より良い人生の時間を楽しんでいけばいいわけです。そもそも将棋という種目は、熱烈なファンであっても連敗がつづき、大スランプに入るとしばらく将棋を見たくないというような心境になることは日常的なことであり、好きな人すらも嫌になる瞬間があるようなものを、感性的に受容できない人が好きなる余地はまったくありません。将棋が好きじゃない人が存在するのは当然ですし、まったく問題ではありません。

問題は「そもそも知らない」という人と「知っているけど好きじゃない」といっているけど、楽しさを理解できるような環境や手続きがそろっていなかっただけの人です。本来、ちゃんと認知、経験を積めば、とても楽しいと思うことができる感性をもっているのに、認知してもらえていない、適切な経験をつめなかったということで、将棋好きにならなかったということ人たちがいることはとても大きな問題です。

ビジネスにおいて良い商品、良いサービスをもっている会社は、探してみるとけっこうあります。ただ、良いものをもっているからといって、たくさん売れているかというとそうでもありません。逆に売れているものが良いものとも限らないというところもあり、これは将棋においても考える必要がある事実です。良い将棋を指したり、良い将棋の世界を作り出していくだけではなく、より効率的により広く認知されることをしないと、”良さ”が存在しないのと同じになってしまうわけです。

そうした点でいうと、知ってもらうためにアニメや映画といった、マス的なアプローチに将棋が登場し、ゲーム性だけでなく、文化的な側面で”なんとなく素敵”という状況が作られていくのは、非常にすばらしいことですね。その上で、そこから興味を持った人のなかから、将棋ファンを作るためには、次の一手が必要になるわけですが、ここは将棋好きな人たちの慣習的、文化的な課題があり、特効薬がないのが難しいところです。

子どもをみているとわかりますが、勝つと楽しいし、ほめられるとうれしいというのが人間です。子どもはそれを露骨に表現します。しかし、表現しないだけで大人だって心のなかは一緒です。しかし、将棋はそのゲーム上、2人のうち1人、つまり50%の確率で楽しい人と、不快になる人が生まれます。チームプレイなどもないので、負けたけどみんなでやって楽しかったということもありません。さらには自分と同じレベルの人がいないコミュニティでは、連戦連敗で、楽しさを生む要素のひとつである”勝利”を永遠に味わえません。興味を持った初心者の人が将棋倶楽部24に登録して、将棋を10局ほど指した状態をイメージすると、わかりやすいと思います。これでは楽しいと思えずやめていくのは当然ともいえます。

子ども将棋スクール、将棋初心者スクールといったものの良い点は、同じレベルの人が一定数以上いる可能性が高く、楽しさを感じるチャンスが生まれやすいことです。そうした場でない限り、初心者の人が将棋を楽しいと思える機会が皆無なのが、今の将棋をとりまく環境になっており、ここをなんとかできる施策は必要なのかもしれません。

将棋を楽しいと思える感性を持っている人に、適切な楽しさを提供できる枠組みができることを願っています。