順位戦もいよいよ最終版。及川拓馬7段がB級2組に昇級決定で感無量

毎年、この時期になると順位戦における昇級、降級でそわそわする将棋ファンの方は多いと思います。もちろん、我々も同様ですが今年は最終戦を前にして昇級を決めている方が多く、例年よりもハイペースな印象です。そうしたなか、BMJ将棋部でご指導をいただいている及川拓馬先生が最終戦を残して見事にC級1組からB級2組への昇級を決めました。本当に本当にうれしい出来事でなんだか一足早く今期がおわった気分です。一昨年は本当に悔しい9勝1敗で昇級できずでみんなで呆然としたことをはっきりと覚えています。

せっかくなので及川先生にいろいろ聞いてみました

ここからは及川先生ご本人に直接聞かせていただいたことをせっかくなので共有したいと思います。大事な一局、そしてそこにいたるいろんなことをお聞きできました。大変勉強になりました。ありがとうございます!

【BMJ将棋部】及川先生、昇級おめでとうございます。今期、見事に昇給決められた要因などもしあれば少しお聞かせいただけますか?

【及川拓馬七段】一番の要因は持ち時間が長かったのが大きかったと思います。最終局が終わっていないので、その中でなんですけど、今期、本当に前半がひどくて。振り返ってみると、持ち時間4時間以下の棋戦が1割ぐらいしか勝率がなくてですね、逆に、持ち時間5時間以上の将棋は9割ぐらいの勝率だったんですよ(笑)。なので、持ち時間が長いほうが自分にあっているかなと。じっくり考えて指すタイプなので、長ければ長いほど自分にとって強みが出ているのかなと思います。そういった意味で順位戦の”持ち時間が長い”ということが一番の要因かなと思います。

【BMJ将棋部】昇級がかかった1戦の前日、緊張など普段とは違う精神状態になるかと思うのですがどのような感じだったのでしょうか?

【及川拓馬七段】順位戦の9回戦、1月のときに北島先生と指したときに勝ちまして。ほかの対局結果を見たら、自力で昇級できることがわかり、その日の夜から緊張感を持った日々が約1か月ほど続きました。本当に緊張感を持った生活をしていて、なんとか落ち着かなければと思いながらも、なかなか落ち着くということはできませんでした。ただ、そうした中でも、なるべく普段通りに、いつも通りに生活するように心がけました。規則正しく生活するという感じですね。今、子育て中でもあるので、そちらにも時間がとられるため、将棋に割ける時間は多くはないのですが、だからこそ集中してできていたのかなと思います

【BMJ将棋部】最終盤に目線を上にあげ胸に手を当てられていた写真が印象的だったのですが、どのようなことを考えられていたんでしょうか?

【及川拓馬七段】そうですね、無意識で、言われて気づいたくらいなんですけど、あの、詰みが見えていたんですよ。うっかりがなければ詰むというのがわかっていたんですけど、その、詰みが見えたことで、自分の心臓がはやくうごいていることに気づいて。こう、心臓の動きをまあ止めちゃいけないんですけど、なるべく抑えようとしてやっていたのかと思います。正直、無意識でした。上を向いていたのは、よく頭の中で詰将棋を解くときに、こう、上に目線を向ける時があるので、それが出た感じです。それが重なってあのポーズになってしまったという(笑)

お金をはらう、そして楽しみをもらう。これが普通の趣味の世界だが将棋はどうだろうか?

ディズニーが好きでディズニーランドに良くいきます。プロ野球が好きで、毎試合見に行きます。そんな趣味を楽しんでいる人は、世の中にはたくさんいるわけです。人生、楽しいことがあるってやっぱり素敵ですよね。そして、これらの趣味の世界でも、お金は使われて、世界を回す原動力のひとつになり、ある人たちの雇用も生み出します。継続するためには、お金をはらうかわりに、楽しみをもらう消費者と、お金をもらう代わりに楽しさを提供する業者が、それぞれ、うまい具合にバランスがとれたときに市場の「成長」や「維持」が実現します。

それに対して将棋はどうだろうか、と考えると非常に特殊です。将棋はほかの趣味と違って、とにかく勉強にしろ、対局して負けたときにしろ、しんどいなーと思うことが多いです。お金はらってしんどい思いする人なんていないわけで、それを超える楽しみを見いだせる一部の人たち、超少数派が市場のベースになっています。

最近はやりの”観る将”については、そういった意味では非常に趣味として健全で、たのしむ、ということに主眼が置かれており、これ構造的には正しい姿だったりします。

将棋の世界って、そう考えるとやはりプロ棋士ってとても重要なわけで、憧れのひとに会えた、一緒に対局してもらえた、みたいなところで満足を提供し、お金が動くようになるっていうのは、すばらしいわけですね。

将棋を指して楽しむ、というのは本当にスタンダードではあるのですが、指して楽しめる人って、そもそも勉強していて、成長を実感し、そして”勝てる”ことが楽しいわけです。勉強しても無駄で、いつも負ける、これが繰り返されて、お金を払って楽しもうなんて人はいないわけです。鬼強いCPU将棋と、100戦やって100敗して、あー、たのしかった、また明日もやろう、このソフト、また新作買いたいなーと思う人などおらず、やっぱり楽しませることを万人に提供しようと思うと、指すことをベースにしていく時点で、限界があります。

そもそもどんだけ勉強しても、相手がより勉強すると、相対的には弱いままであり、勉強が報われることはないわけです。ここもすごい構造として難しいですね。勝つと楽しい、でも、同じメンバー全員が勉強すると、50%の人は、努力したのに楽しくなくなってしまうわけです。しかも、お金をはらう。これは、もう消費者目線で考えるととんでもなくつらいですね。

プロ野球のファンの多くは、野球をまったくやっていない人です。もちろんやっていた人も多くいますが、野球を自分がやっていたから、みたいなところで、ファンの間で変な力関係が働くことはまったくありません。どれだけ、ひいきのチームを愛しているか、という点が重要であり、本人がどれだけ野球をやってきたから、そしてどれだけ成績を残したか、ではありません。野球をやってきた人も、まったくやってこなかった人も、うまい人も、下手な人も、自分が応援するチームが、頑張って、勝つ姿をみて、その感動を共有することが、ファンとしてつながっていれば、それでいいわけですね。

将棋のファンはどうかというと、ここはすごく幅広く分かれますね。共通しているのは、プロの人たちのことは興味がなく、自分がプレーすることに重きを置いている人がいるということ。この人たちは、どんな世界にもいて、ある意味では当然の存在なのですが、この層はどの市場においても消費量が少なく、市場規模は非常に小さなものです。メインはそっちではなく、やはり憧れをもっている人たちです。

ファン向けのグッズ、ファン向けのイベント、こういうものは本来、どの市場でも非常に高い利益を生み、また労働集約型のモデルではなくなるので、利益率も高く、ここが成功するかどうかが、とても重要であるといえます。イベントは二次利用のコンテンツがビジネスとして成立するかどうかがカギで、ただのイベントだけだと、スケールしない、という点で、ここも悩ましいところです。プロ野球であれば、球場に来た人のチケット料金と、ついでに買っていくファングッズ、というだけでなく、そこに加えて放映権であったりが、利益として大きくなるわけです。しかも、ファンがみて、さらにファン化し、しかも一緒に見ている人も刷り込みによってファンとして増殖していくというおまけつきです。見ていて、楽しい、消費もする、さらに顧客も増える、楽しませることができるというのは、どの業界でも重要なことであり、しかも儲かることです。

お金を払って苦しい思いをさせる、これをどうやったらなくせるかは、非常に大きなポイントな気がします。ほんとうに観る将ってすごい大事な存在だかなと思うわけですが、その一方で、一部の将棋に興味はないのかな~という、お気に入りの女流の方たちのイベントにだけ足しげく通う人たちがいることも事実で、あっちの方向で行くと将棋である必要もなくなるわけで、またここも難しいですね。

みんな楽しくなるといいですね。その結果、業界全体が儲かるともっと良いと思います。

もしも将棋が今どきのカードゲームだったら。

将棋っておもしろい。率直にそう思うのですが、残念ながらポケモンカードや遊戯王といったカードゲームなどと比べると(お金を落とすような)ファンは少なく、儲かっていないのが現状です。

逆に言えば、今どきのカードゲーム的な発想で展開をしていったら、すごく儲かってしまって、さらにファンも増えていくのではという逆転の発想で考えてみるのもおもしろいのではという妄想です。

まず最近のカードゲームの特徴としては、以下のようなことがあります。

  1. 買った時にどんなカードが手に入るかはわからない(開けるまでどきどき)
  2. 毎月のように新しい能力カードが登場して、新しい戦略を練る必要がある(強い人が固定化しにくい)
  3. 勝つためには最新の強いカードを手にする必要があり、毎月新しいものを購入する動機づけがある(投資が継続)
  4. カードの絵柄が素敵でコレクション性がある(ライト層もお金を使う)

ざっと考えてみると、こんな感じな特徴があるわけで、つまり、みんなが欲しいと思う強い、新キャラを継続的に登場させて、それを欲しければ、たくさん買ってね、ということです。これを将棋に当てはめて考えてみると、さて、どうなっていくでしょうか。

まず、大会ごとに新しいコマが発売されて、未知な動き、能力を持つことになります。勝ちたいなら、まず買いなさい、となるわけですね。レギュレーションによって、この大会では、このシリーズの駒以外使えません、といったこともでてくるかもしれません。

新発売の玉として使える「右辺ダッシュ玉」は右に3つまで一度に進めるんだぜ、といったことも考えられます。飛車として使える「軍師飛車」であれば、龍になると、盤上の歩がすべて、と金に代わるといったこともあるかもしれません。そんなチートな駒を防ぐために、銀として使える「身代わり銀」なるものがあり、2枚の銀を相手の駒台に置くことで、盤上にある相手の駒をひとつ、対局終了まで使えない状態にするかもしれません。

勝ちたいなら、それはもう手にしないわけにはいかないわけで、狙いの駒がでるまで、たくさん買わざるを得ないですね。

さらに、こうした新キャラを使いこなすために、毎月のように新戦法が登場することになるのでしょう。新戦法を紹介するYoutuberな棋士も増えるかもしれませんし、子どもたちがこぞって見るかもしれません。

もちろん常軌を逸した話ではありますが、それでも「現代のカードゲームだったら」を考えると、将棋がどうして儲からないのかが少しだけ見えてきます。今の主流は”努力だけで勝つ”のではなく、”お金と時間を使えば誰でもある程度は楽しめる”ようにすることに重きを置いているわけです。それこそ、ゲームやらなくても、絵を見ているだけうれしい、コレクションだけで価値がある、なんていうのはその最たるものです。

今の将棋の魅力をちゃんと残しつつ、それでいて関わる人たちが増えていくビジネス圏を広げていける方法が見つかるといいですね。

どんな世界でも夢が壁をぶちやぶる原動力になる。将棋をメジャーなポジションに押し上げる夢とはいったんなんだろうか。

世界を変えるような”何か”というのは、そこに誰かの夢がつまっていて、その夢を見る人が多ければ多いほど、成功のインパクトは大きくなります。たとえば、もっと役に情報を手にしたい、もっといろんな人と簡単につながりたい、という夢をかなえたのはインターネットでした。普遍的であり、最大公約数的な世界中の人の夢をかなえる役割を得て、ものすごい速度で、急成長していきました。

夢には大きく2つあり、ひとつは自己実現としての他人の評価を必要としないストイックなもの。もうひとつは他者からの名声や収入によって相対的に良い生活ができるという俗的なものです。将棋はどちらかというと、ストイックな夢のタイプでいまは機能していて、「ただ好きなんです」という人たちの好意、善意によって回っているところが多く、俗物的な人たちをよせつけない小さな市場になっています。

俗物的な人たちというのは、世間一般ではマジョリティーであり、その人たちを取り込まない限り、大きな市場になることはありえません。こちらの路線でわかりやすい夢といえばは「時間」と「お金」です。人生で好きなことをできる時間と、好きなことを好きなだけやれるだけのお金が手に入るのであれば、国も、人種も、年齢も、性別も問わず、多くの人が、その夢にひかれてくるはずです。

野球の世界であれば、プロ野球選手になる=金銭的にも大きなものを手に入れるということを意味します。ただ、プレイヤー数と比較して、夢を実現できた成功者の数が少ないため、”効率”という観点で敬遠する人が多いのも事実ですが、たくさんの人に注目もされて、お金も入る可能性があるということで、一定の支持を得ているのが「プロ野球選手」という形の夢があります。

将棋界はどうかというと、そこにプロ棋士という存在があるわけですが、他の分野と比較して少し地味で、多くの人にちやほやされる、承認欲求を満たすようなものは少なく、また、単純に大金を稼げるのなら目指すというのも非常にまれであり、ほとんどの人は「好きな将棋を仕事にしたい」「将棋の良さを知ってほしい」という、欲の少ない、いうなれば謙虚な人が多く、夢の形としては非常にストイックな人たちのみにしか通用しないものになっています。

ひどい話をいってしまえば、「将棋は好きじゃないけど儲かるみたいだからやります」であったり「将棋ができるとモテるみたいだからやってみようかな」であったりと、そういった俗物的な夢を受け入れられる余地があると、メジャーなポジションは大きく近づきます。子どもも大人も、やはり生物としての本能的に「もてたい」であったり、「楽をしたい」であったりというのは共通してあるわけで、そうした欲も、夢として設定できるような懐の広い何かがあることも重要なのかもしれないと思います。(ただ、これをやると地味だから好きという、静かな趣味としての将棋が好きな人が離れる可能性があるのは難しいところ)

それこそ「プロ棋士の収入を全員2倍にする」「タイトル戦の賞金を3倍にする」といったシンプルな目標や、「将棋ビジネスを手掛けるとお金持ちになれる」「プロ棋士になれたら人生の成功者確定」といった事実など、そうしたものができてくるだけでも、また少し違ってくると思うので、ストイックに、そして謙虚にというだけでなく、より大きく、よりわかりやすい夢の設定というのは重要な施策のひとつだとも思う次第です。人の欲に働きかけるものは、残念ながら非常に強い、というのが世界の事実だからです。そういった俗的なものが好きかといわれると、むしろ個人的には嫌いだったりしますが、普及させたい、広げたい、大きくしたいという場合は、合理的なものとして、そういったものも利用しないといけないという意味でのお話でした。

今度こそ…の思いが募る今年の竜王戦

先日ちょっとした用事で千駄ヶ谷の将棋会館にいってきました。駒袋が古くなったので買いに寄っただけという本当に小さな用事です。
いったことがある人ならわかると思いますが、将棋会館の前には掲示板があるんですが、そこに今年の竜王戦のポスターがどどんと掲示されていたんですが、なんとも力強いものだったのでおもわず1枚パシャリ。

今年は羽生さんと渡辺さんですが個人的にはお二人とももれなく大好きで応援しているものの、あと一つで永世の称号を手にできる羽生さんをついつい応援してしまいがちです。あと一つがなかなか取れないですからね。羽生さんと渡辺さんとなると、羽生さんが2008年の3連勝後の4連敗して敗れるという強烈な竜王戦の印象が残っていて、今度こそという思いは羽生さん本人だけじゃなくてファンの皆さんももっているんじゃないでしょうか。

10月20日からはじまる7番勝負、いまから楽しみです。