順位戦もいよいよ最終版。及川拓馬7段がB級2組に昇級決定で感無量

毎年、この時期になると順位戦における昇級、降級でそわそわする将棋ファンの方は多いと思います。もちろん、我々も同様ですが今年は最終戦を前にして昇級を決めている方が多く、例年よりもハイペースな印象です。そうしたなか、BMJ将棋部でご指導をいただいている及川拓馬先生が最終戦を残して見事にC級1組からB級2組への昇級を決めました。本当に本当にうれしい出来事でなんだか一足早く今期がおわった気分です。一昨年は本当に悔しい9勝1敗で昇級できずでみんなで呆然としたことをはっきりと覚えています。

せっかくなので及川先生にいろいろ聞いてみました

ここからは及川先生ご本人に直接聞かせていただいたことをせっかくなので共有したいと思います。大事な一局、そしてそこにいたるいろんなことをお聞きできました。大変勉強になりました。ありがとうございます!

【BMJ将棋部】及川先生、昇級おめでとうございます。今期、見事に昇給決められた要因などもしあれば少しお聞かせいただけますか?

【及川拓馬七段】一番の要因は持ち時間が長かったのが大きかったと思います。最終局が終わっていないので、その中でなんですけど、今期、本当に前半がひどくて。振り返ってみると、持ち時間4時間以下の棋戦が1割ぐらいしか勝率がなくてですね、逆に、持ち時間5時間以上の将棋は9割ぐらいの勝率だったんですよ(笑)。なので、持ち時間が長いほうが自分にあっているかなと。じっくり考えて指すタイプなので、長ければ長いほど自分にとって強みが出ているのかなと思います。そういった意味で順位戦の”持ち時間が長い”ということが一番の要因かなと思います。

【BMJ将棋部】昇級がかかった1戦の前日、緊張など普段とは違う精神状態になるかと思うのですがどのような感じだったのでしょうか?

【及川拓馬七段】順位戦の9回戦、1月のときに北島先生と指したときに勝ちまして。ほかの対局結果を見たら、自力で昇級できることがわかり、その日の夜から緊張感を持った日々が約1か月ほど続きました。本当に緊張感を持った生活をしていて、なんとか落ち着かなければと思いながらも、なかなか落ち着くということはできませんでした。ただ、そうした中でも、なるべく普段通りに、いつも通りに生活するように心がけました。規則正しく生活するという感じですね。今、子育て中でもあるので、そちらにも時間がとられるため、将棋に割ける時間は多くはないのですが、だからこそ集中してできていたのかなと思います

【BMJ将棋部】最終盤に目線を上にあげ胸に手を当てられていた写真が印象的だったのですが、どのようなことを考えられていたんでしょうか?

【及川拓馬七段】そうですね、無意識で、言われて気づいたくらいなんですけど、あの、詰みが見えていたんですよ。うっかりがなければ詰むというのがわかっていたんですけど、その、詰みが見えたことで、自分の心臓がはやくうごいていることに気づいて。こう、心臓の動きをまあ止めちゃいけないんですけど、なるべく抑えようとしてやっていたのかと思います。正直、無意識でした。上を向いていたのは、よく頭の中で詰将棋を解くときに、こう、上に目線を向ける時があるので、それが出た感じです。それが重なってあのポーズになってしまったという(笑)

新型コロナウイルスと将棋について

気が付けば新型コロナウイルスが登場し、自粛生活がはじまって1年以上が経過しています。その間、社会は大きな変化をしましたが将棋も同様でした。今日はちょっとそんなことについてのお話です。

将棋の対局やイベントのオンライン化が劇的にすすんだ1年

2020年の春、将棋界は大揺れでした。いろんなイベントが中止、順位戦やタイトル戦なども対応が迫られて、あわや順位戦がなくなるかもといった議論なども真剣にあったほどですので、その時のことを思えば感染者が増えているとはいえ、今年は将棋界は安定して推移しているといえます。

これまでいろいろと議論がされていくなかで、インターネットの活用は将棋界でも検討されていましたが、将棋ウォーズや将棋倶楽部24といった、アプリなどの活用がメインで将棋教室やイベントをオンライン化するというのはまだまだ少数派でしたが、これがこの1年ほどで驚くほどの普及が進みました。そのスピードは驚くほどで、ピンチはチャンスという言葉を表す好例ともいえるような結果です。

これまで長年かけて変えられなかった慣習を、たった1年で多くの人が変えることに同意したわけですから、怪我の功名といえるわけですが、残念ながら興行的にはまだまだうまくいっているとはいえないため、収益面でもっと跳ねるような何かができてくることを、将棋ファンとして望むばかりです。応援というのは精神的なものだけでなく、物心両面でしてこそ文化として残せるわけですから、収益もオンラインで大きく伸びることを期待です。

将棋ファンは新型コロナウイルスの影響で増えた?減った?

オンライン化がすすんだことで、将来的には地方でも問題なく将棋を楽しめる、勉強できる環境が整ってきたことは喜ばしいことです。その一方で、将棋をさす人たちはどうかというとここは非常に微妙な気もします。

まずシンプルにみていてわかるのはこども将棋スクールやこども向け将棋イベントの開催数の減少に加えて、参加者が激減したことです。わたしが参加しているところの多くが、緊急事態宣言などの期間かどうかなどに関わらず、あきらかに参加者が減っています。理由はいろいろありますし、いろいろはお話は聞きますが。新型コロナ影響で将棋をたのしむこどもが減っているのは間違いなさそうです。

では、大人たちはどうかというと、コアなファンはいつの時代も関係なく、隙さえあれば将棋に意識がいきますので、そこらへんは変わっていないように思いますが、ライト~ミドルな層はというと非常に微妙な印象です。ここらへんの層の方たちは、将棋そのものが好きというよりも、将棋を通したつながりなどが好きというところもあるので、イベントやスクール、会合が減ると将棋への関心も一気に減っていくのを感じました。昨年の春ごろから休止し、落ち着いたので秋ごろにみんなにご連絡をすると、反応は以前の半分といった印象です。他の支部の方たちにもいろいろ聞いてみましたが、多少の差はあれど似た反応があり、割合は別としてもマイナスの影響はあったようです。

去っていった人たちは戻ってくるのか?どうやって戻す?

年代を問わず、総じて減った、というのが私を含めた周囲の印象です。そうなると気になるのは今後、新型コロナウイルスが収束して日常が戻ってきた後のことで、去っていった人たちは将棋の世界に戻ってくるのかというところです。元々、去る人が多い将棋界ですので、去っていった人をフォローするという文化はあまりなく、あきらめが良い人が多い印象があります。まあ、今回も普通に考えれば戻ってこないのですが、それでもできれば戻ってきてほしいし、残ってほしいし、もっと好きになってほしいと願ってやまないわけです。そのために将棋好きたちは何をすべきでしょうか。

できることなんてない、まあ、次のブームが来るまで待とう、どうせ去っていった人たちは戻ってこない、というのが、この業界の多数派の意見であることは否めません。わたしも当然そう思うこともあるのですが、、それでも将棋を通したコミュニケーションを続けるということだけは、みんながあきらめずに続けるべきではないかとは思っています。

誰かがやっているから、みんなが楽しそうだから、わたしもやってみよう、一緒にやろうというのが、ほとんどの人の将棋のスタートです。これは、周囲にやっている人がいて、その人とのコミュニケーション回数によって、確率が高まっていくものです。さあ、将棋しよう、ほら楽しそうでしょという、将棋と触れる機会、そうしたコミュニケーションをあきらめずにコアなファンたちが、ライト~ミドルな人たちに行い続けることはこれまで以上にがんばっていってほしいですし、がんばっていきたいと思います。あと、職団戦の再開もこうした意味では重要な気もするので早く再開を期待します。

78期の将棋順位戦の結果振り返り

将棋界が落ち着くのがちょうど今頃の季節でしょうか。毎年、順位戦も終わり一区切りという中で関係者も含めて少し気が抜けた雰囲気が漂いはじめる時期です。同時に来季のことが気になり始めたり、思索にふけるときでもあるのですが順位戦の結果によってはどうしても引きずってしまう時期でもあります。ファン目線ですけどね。ああ、あそこであと一勝とれていれば。ああ、あそこでなんとかできていれば、なんてことをファンでしかない私も考えてしまうわけで、ただこれもまた将棋の楽しみ方の一つなのかなとも思います。

第78期名人戦・順位戦も例年にもれず、見どころ満載ではありましたが、個人的には少し思うことが多いものとなってしまいました。やっぱりとにかくまずは結果が勝負である以上は重要なわけですが名人への挑戦権は渡辺三冠が見事獲得。圧巻の強さでしたので、ここはそうですよねという感じではないでしょうか。A級では木村王位と久保九段が降級となり、やはり残念な気持ちがわいてきます。

B級1組は菅井七段と斎藤慎太郎七段がA級入りし、心配されたA級の振り飛車党が不在の状態は回避されてひと安心です。そしてB級1組で降級したのが谷川九段と畠山鎮八段。谷川先生がB級2組というのはやはり思うところが多い人も多いのではないでしょうか。やはり残念です。

B級2組はどうだったかといえば、ここでは丸山忠久九段と近藤誠也六段が昇級してB級1組へ。飯島栄治七段と田村康介七段が残念ながら降級となりました。もうどのクラスでも残念が気持ちになってしまうのはつらいところです。とくにつらいのが横山泰明七段が、昇級争いで優位に進んでいて、最終戦での結果で惜しくも残留となったことはここまでいろいろな試行錯誤、努力を見てきたファンたちもつらかったはずです。私もつらかったです。ただ、こういう話をすると最終局の対局者である北浜健介八段の立場からすれば、それはまたつらい話で、もうみんな好きだからみんなに勝利をあげたくなるわけですがそうもいかないのがつらいところです。そしてB級2組では飯塚祐紀七段が連敗スタートからの5連勝で盛り返したのはさすがの一言ですよね。

C級1組ではみんな大注目の藤井聡太七段が見事に全勝での昇級を決めました。さすがの一言ですね。そしてもう一人は佐々木勇気七段。残念ながら降級となったのは塚田泰明九段と堀口一史座七段のお二人でした。こちらも残念な気持ちでいっぱいです。C級1組については昇級争いが苛烈で、最終戦の結果次第で2人目の昇級者が決まるという胸熱な展開でしたが、佐々木勇気七段、及川拓馬六段、石井健太郎五段の3人とも9勝1敗で並び、昨年度の結果からの順位で昇級者が決まるという、だれにとってもつらい結果でした。勝ち数が並んで昇級、残留がわかれるこの仕組みは、精神衛生上良くないですね。毎年のことではありますが、特に棋士の数が多いC級1組、2組はこの展開が多くおもしろいけれどつらいところです。応援しているほうも、だれかを応援することで、誰かの負けを期待してしまうわけで勝負の世界の悲しいところ。及川拓馬六段は1敗したとはいえ、昨年から考えれば順位戦で20戦して19勝して1敗なわけです。すごいことです。こんなにすごいのに残留というのは、言葉にできない不思議な感情がわいてきてしまいます。どうなってるんだ。これ。でも、まあこれがプロの将棋の世界ともいえるわけですし、去年の藤井聡太七段、船江恒平六段も同じ境遇だったわけで、みんな平等といえば平等なんですよね。でも、やっぱりつらい。

C級2組は高見泰地七段、三枚堂達也七段、古森悠太四段が昇級。桐山清澄九段と島本亮五段が降級となりました。桐山清澄九段は年齢もあり規定でフリークラスではなく引退となるということで、将棋ファンとしては思うところ多い出来事です。あのお歳で順位戦を戦い抜くって将棋の棋士としてももちろんすごいことですが、普通にただの人としてみてもとんでもないことだと思うからです。昇級争いに話を戻すと、C級1組もそうですがC級2組も棋士の数が多いだけに昇級争いが激しいですが、今年は9勝1敗の3人が昇級となり、最終的には白黒はっきりした結果となりました。ただ、8勝2敗が佐々木大地五段、西田拓也四段、大橋貴洸六段、佐藤紳哉七段、牧野光則五段と5人もいるわけですから、毎年毎年、順位を維持していかないと、ただ勝つだけではなかなか昇級できない難しさを感じます。C級2組でさらに思うのは今年は佐藤慎一五段、村田智弘七段のお二人にあと一勝してほしかったということです。降級点の消滅まであと一勝、そして残り二戦というところまできていたので、なんとかあと一勝をと思っていただけにとても残念です。降級点をなんとかひとつ消したかった。自分の事じゃないんですがやっぱり消したいです。一つ消えただけで来季の精神的なゆとりもまた違うでしょうし。もちろんファンよりもご本人のほうが残念なはずですがファンはファンなりに思うことがあります。

以上が78期の順位戦のざっとした振り返りですが、やっぱり勝負の世界なので仕方ないですが誰かが勝つと、誰かが負けるというのは、喜びと悲しみが表裏一体で複雑な気持ちになります。プロ棋士の皆さん、楽しい将棋、1年間ありがとうございました。また来季も宜しくお願いします。

プロ棋士の対局の見どころのひとつは「苦しんでいるところ」だと思うという話

将棋を指す人だけでなく、観戦主体のいわゆる観る将も増えている昨今、楽しみ方も多様化し始めています。以前であれば棋譜こそが主役であり、主役は将棋オンリーだったわけですが、難しいことはかわらないけど、なんとなく将棋って見ていて文化的に好きという人たちも登場することで、わかりやすい、将棋めしなどのコンテンツも人気を博してきています。ただ、個人的にはこれらもすごい魅力ではあると思いながらも、是非とも推したいのがプロ棋士たちが長時間の対局の末に、順位戦でいえば22時過ぎあたりから頻発することが多い「苦しんでいるところ」です。

大人が暴れるわけでもなく、ただ地味にひたすらに苦しむ姿がみれる場面はなかなかない。プロ棋士の戦いではこれを見ることができる

子どもはとても素直です。露骨に残念な顔もするし、おもしろくなければ怒り出しますし、ふてくされてしまったりもします。でも、大人になるとそうした姿を見せないように、隠す技術を発達させることで、なかなか表立ってそれが表れるシーンはありません。プロ野球などであれば、バットを頬り投げてしまったり、たたきつけたりと、露骨にわかりやすく体をつかって発散しているシーンはありますが、大人の世界であれはありえません。スポーツだから許される行為ですね。仕事中に、提案している内容が落とされそうになったからと言って、提案資料をなげつけて悔しさをあらわにするなんてことは見たこともありません(いるのかもしれませんが。。。)

みんな必死に、苦しさを我慢して、必死に体裁をとりつくろって生きているのが大人の世界です。もちろんそれはプロ棋士たちも一緒ですが、順位戦の深夜など、ひとりごと、脇息にもたれかかってうずくまったり、露骨に肩を落としたりと、本気の大人の苦しんでいる姿を見ることができます。暴れるわけでもありません。声をあらげるわけでもありません。でも、抑えきれないストレスが、もれはじめる瞬間があります。これを見てどう思うかは人によって違うと思いますが、私は勇気づけられます。

苦しんでるのは自分だけじゃない。こんなに苦しいことに耐えている人もいるんだとわかると共感によって元気づけられる。そういった意味で、苦しみながらも耐えているプロ棋士の姿は美しいし、多くの人を元気づけている(と思う)

大人はうそをつきます。不安なのに大丈夫そうにふるまったり、耐えられないのに大丈夫ですといってみたり、充実していないプライベートを、インスタで着飾ってみたりと、世の中はうそに満ち溢れています。それを知っていたとしても、実際にそうした情報を見聞きしていると、自分だけが苦しんでいるアンラッキーな人なのではないかと思う人がいても不思議ではありません。でも、そんな時に目の前に、多大なストレスを受けながらも逃げず、暴れず、耐えている人がいたらやっぱり少なからず元気づけられるんじゃないでしょうか。私だけじゃないんだなと。そういった意味で、うそのない、プロ棋士たちの悶絶する姿はとても美しい。そしてそれを見ることで元気づけられる人がいるはずで、それは将棋の魅力のひとつではないかと思うわけです。

少なくとも私はそう思いますし、涼しい顔して、感情もないようにふるまい、それでただ将棋をやるだけなのであれば、それこそコンピューターと一緒であり、人がみて共感できるものではないでしょう。やはり、プロ棋士は人としての感情、個性があるべきで、それが対局中に画面越しに、公開対局であれば目の前で感じることができたのであれば、コンピューターでは提供できない唯一無二の価値があるはずだと思います。

プロ棋士のひとりごと、苦しんでいる姿、最高のコンテンツだと思っているんですがどうでしょうか。

将棋を好きな人を増やすためにAbemaTVの「楽屋で一局 ペア将棋」的な楽しさをもっと大切にしていくべきではないかと思った話

将棋を指す人が増えないことのひとつに、独特の風土もあるなーと思うことがあり、それについて考えさせられた出来事がありました。 将棋は指せるけどあまりやりたくない、という人はけっこういます。ルールを覚えるのも簡単ではないので、まずそれを覚えただけですごいですよといいたくなるんですが、そういう人たちの話を聞いていると自分も含めていろいろと考えないといけないなと思ったという話です。

アマチュアは別に将棋に勝ったからといって、人としてのランクがあがるわけでもないし、お金が手に入るわけでもない。まして負けても死ぬわけでもない。遊びなんだから別に弱くていいんだけど、それを許さない風土はどこからくるのか

みんなで旅行してトランプだ!UNOだ!となったとき、勝ちにはいくけどそこまで本気で臨む人は皆無で、むしろそういう人がいたら「遊びなんだから本気にならないでよ」と周囲の人は空気を読んでほしいなと思うことがほとんどです。まあまあ、遊びなんだから熱くならないでとなります。じゃあ、みんななぜカードゲームなどでみんな遊ぶのかといえば、それはみんなで何かを一緒にやることが楽しいからですよね。

でも、将棋の場合、へらへら笑っていると怒り出す人がいたりします。真剣にやりなさいと。さらに、本気すぎて負けると怒り出す人もでてきます。みんなでやって楽しかったとは真逆の、真剣に取り組んでいる自分と、そして相手に打ち勝った自分を楽しんでいる人が多いわけです。まあ、そういう人がいるというだけなら、それだけなのですが、難しいなと思うのがそうしたことを、一緒にやる人、周囲の人に強要しがちな風土があることです。もちろん、礼節というのは大切ですが、談笑しながら将棋を指すというのはNGとする場も多く、そして将棋が好きの人ほど、その文化に慣れていて、笑顔などなく、苦悶の表情を浮かべながら、対局にのぞみ、初心者相手にも熱くなり、容赦なく勝ちに行く人たちがいっぱいいます。

これ、文化というか、風土なわけで、だれかの問題というよりも見て学び、自然と受け継がれた結果、できあがったものなわけです。だれも悪気はないところがまた難しいわけで、遊びであれば本当はふざけていていいわけです。笑っていていいわけです。みんなが楽しいのが一番なんですから。でも、真剣さをもとめ、静かに、そして礼節をもった行動をとり、日々、詰め将棋をやりつづけなさいといわれるのが、将棋好きの人たちにとっての常識です。ずっと、この世界を見ている、慣れ浸しんだ身としてはそれが将棋でしょうとも思うわけですが、冷静に考えたら、それってもう遊びじゃないですよね。

ドワンゴの叡王戦やabemaTV将棋トーナメントよりもabemaTVの「楽屋で一局 ペア将棋」が長い目でみたときの将棋界に価値があるのでは?真剣さや礼節もいいけど、楽しさをもっと追及する、笑顔、笑いが多いああいった企画はもっと評価されていいはず

テレビ中継、ネット中継は将棋ファンであれば夢中になってしまうところですが、将棋好きじゃない人からみると解説がないと、何してるかわからない沈黙の多い、暗い、絵的に見ても面白みのない番組です。

そこに一石を投じる、もっと評価されても良さそうな番組があらわれました。(だいぶ前になりますが) それがAbemaTVの「楽屋で一局 ペア将棋」です。

古くはドワンゴさんが頑張ってくれた電王戦や叡王戦、AbemaTV将棋トーナメントもすごくいい企画ですし、これやってくれているだけでドワンゴさんとサイバーエージェントさんは社会貢献している良い企業と声を大にしていいたいのですが、これらは既存の延長戦で、どこまでいっても将棋の枠に収まったものでした。もちろん、コメント機能や解説の工夫などはあるのですが、由緒ある流れの延長であることは否めません。

それに対してabemaTVの「楽屋で一局 ペア将棋」は、はっきりいって斬新です。もう勝ち負けを重視している人が皆無で、それよりもとにかく楽しさ、もはや将棋を知らない人がみても、若者が楽しんでいる姿をみて、よくわからないけど楽しくなるような、そういったいままでの将棋として押し付けられていた「勤勉さ」「勝利至上主義」「笑顔厳禁」などが皆無で、まあジャンルとしてバラエティとなっています。NHKさんも正月特番などでいろいろやっていますが、あそこらへんは将棋をテーマに芸能人のトークや進行を楽しむみたいな作りこみで、私も将棋をやってみたいと思う人が増えるようなものではありません。それに対して 楽屋で一局 をみた、まったく将棋を指さない人も、わたしもみんなで指してみようかなと思わせる”みんなでやる楽しさ”を表現しているすばらしさがあります。

パッケージ、キャスティングもすばらしかったですね。 高見泰地先生、三枚堂達也先生、八代 弥先生、佐々木大地先生の若手4名は、将棋をしらない若い世代がみても、十分おもしろそうなものだったようで、まったく将棋をやる気のない小学生たちがペア将棋をやってみたいといいはじめて、実際にふざけながらやっている姿をみて、こういう楽しさが増えるべきなのになと改めて思ったところであり、またあの番組を作られた人たちのすばらしさは、もっと評価されるべきではと思ったわけです。解説も 木村一基先生、山口恵梨子先生と、これもまたよくマッチした素晴らしいものでした。

あまり将棋に興味をもっていない子供たちが、自分もやってみたいと思うっていうのは、これ確実に正解だと思うわけです。相居飛車のタイトル戦などは、ねじりあいも難しすぎて、多くの子どもたちは見ていても完全にカヤの外です。さらに気迫が前面にですぎていて、子どもたちの興味をひくどころか、将棋って大変そうというイメージを植え付けてしまうということもあり、他のスポーツみたいにみんなでわきあいあいとして、ハイタッチしたりしてなんか楽しそう、あの輪の中に自分もはいってみたいみたいなものがなかったりするので、ペア将棋のああいった、たのしそう、という作りこみってすごい素晴らしいものだと思います。

あれを見た後、どっちが勝ったかを気にする視聴者はそれほど多くはないはずです。将棋が好きじゃない人にこそ、是非見てほしいものであり、また、ああいったものをもっと増やしていき、それを許容する文化ができあがるとみんなにとってより良い将棋になる気がしています。たのしさ、本当に難しいですが、大切にしていきたいものです。

たくさんの人が考える”たのしい”って何だろう?そこから考えるたのしい将棋の話

将棋楽しいですよね。楽しくないと思う人もいるわけですが、それはそれで良いのです。全員が好きになるものなんてありませんもの。みんな自分が楽しいと思うことをやって、それで楽しい時間を過ごせればそれでよいのです。さて、でもそんな将棋好きな人であっても、いや、むしろ将棋好きだからこそわかり、終盤戦の心臓がリアルにどきどきしてくる感じや、血圧があがる感じ、あげくの果てに勝てる将棋をひっくり返されて、終局後、言葉がでないうえに、他のどんなゲームでもあじわえない、どろっとでてくる不快感。あれを味わっていると「なぜこんな思いをしなければならないだろうか」と思う人がいても不思議ではなく、というよりほとんどの将棋好きの人も定期的に思っていることのはずです。

まあ、しばらく時間をおいて体と心を回復させると、次こそは!という思いがより強くなり、将棋沼から抜けられなくなっていくわけですが、率直にいって将棋はつらいです。おもしろいけどつらい。本気の対局などをしようものなら気分転換にはまったくなりません。遊びとわかっていても、途中から本気の自分が顔を出し始めて、終盤では勝っても負けても何が起こるわけでもないのに、なぜか勝ちにいってしまうというのは、将棋好きならわかる話ではないでしょうか。勝ち負けから離れたところで楽しむことが難しい、それが将棋の良いところでもあり、つらいところでもあります。

あんなつらい思いをしたら普通は「将棋ってたのしい」なんて思えるわけもなく、やはり真剣に「楽しめる将棋」について本気で研究する人がいないとまずいのではとも思ったりします。将棋人口って必ず減っていくように仕組みができあがっているのは、こうしたことも遠因となっている気がします。まずお酒飲んでやるとできない、これもつらいですね。みんな大好き将棋ウォーズをお酒を飲んで帰る途中に何局かやったら、連戦連敗で達成率が気が付いたら0になっていた、なんて経験は将棋とお酒の両方を愛している人なら経験があるはずです。お酒飲むと、考え抜くのが難しくなるうえに、しかも盤面全体がまったく見えなくなります。高段者とかになるとここらへん違うんですかね。今度、ぜひ聞いてみたいものです。

ちょっと話はそれましたが、まず「たのしい」ってなんだろうと考えると、人によって違ってきてしまうので世の中のより多くの一般的な人たちに好まれるものというところから考えてみようと思います。そうなると次のような感じになるのかなと。

  1. 心も体もつらくない
  2. みんなで仲良し
  3. 努力がいらない
  4. 好きなコからにもてる
  5. みんなにちやほやされる

わかってはいましたが、軽く書いてみておもったのが、これ、将棋にすべてないものですね。まず、やっている最中に「なんでこんなにつらい思いをしなければならないのか。仕事でもないのに、ああ、もう適当に指しておわらせて楽になりたいな」なんて思いは多少はでてくるくらいつらいですし、それどころか遊びのはずなのに動悸さえするときがあるわけで、心も体もつらいです。負けると、絶望的なショックがやってきます。そうそう。プロ棋士の先生たちの対局でも、対局終了直後にインタビューとか、イベントに顔出したりとかありますが、あれ、改善できないものだろうかなとなんとなく思います。せめて15分休んでからとか、そういう配慮があってもいいんじゃないかなとかは思うわけです。

そしてみんなで仲良くっていうのがありそうでないですね。基本、孤独で、仲間は少しずつ減っていき、オンラインで貴重な将棋仲間と対局を楽しむみたいになりがちです。将棋イベントいくと、こんなに将棋好きな人いるんだ!みたいな気持ちにはなりますが、基本的に内向的な人たちの集まりなので、一方的に話聞くだけで交流とか生まれること皆無ですからね。ここも将棋って悩ましい。

そしてそして仕事も勉強も、いろんなところで、ほとんどの人は努力が嫌いなんですよね。でも、努力しないと楽しいと思えるところまでいくことすらできないというのが将棋の敷居の高さを感じますね。

さらに、せめて、思春期のマジョリティたちに訴求するのであれば、せめてもてる、好きなコにもてるというのはあってほしいが、これもないです。サッカー部とかのほうがもてますね。合コンとかやったとしても、高校、大学でサッカー部やバスケ部にいました、というプロフィールと、将棋にいました、というプロフィールだと、まちがいなくサッカー部やバスケ部に負けます。これはつらい。

いろいろと軽く考えてみると、そもそもなぜ将棋をやるのか?どこが楽しいの?と聞かれた時にこたえられない自分がいるわけで、基本、つらいけど、そこが楽しいという、普通の人たちからは意味がわからないところから話がはじまるのが悲しいです。将棋って楽しいんですけどね。

まず、一般的なたのしい基準で、将棋をたのしいと呼べるものにするためにはどこからはじめるべきなんでしょうか。そもそもでいえば、サッカーとかだって勝ち負けがあって、うまい、へたというのもあり、その結果優劣がつくし、練習もつらいときだってあるはずですよね。そうかんがえると、つらいってだけでは差になっていないんでしょうかね。つらい、は実は普通のこと?じゃあ、すごい差になっているのはなんでしょうね。わかりやすさ、派手さ、目から入ってくるインパクトでしょうか。すごいシュートは、まあだれがみてもすごいですからね。じゃあ、将棋も100メートル先の盤面に向かって駒をなげて、狙いのマスにぴったり落とすとか、そういうのがあるとサッカーに近づくんでしょうか。まあ、やれたらそれは誰が見てもすごいですね。そして、その姿がかっこよければもてることにもつながっていくわけです。フィギュアスケートのトップ選手たち、技術の云々なんてわからない素人がみてもきれいで、なんかすごいですよね。そしてもてます。これ、思春期をとりこむために重要な要素ですから、駒を放つ姿が美しすぎて、Youtubeで再生回数がうなぎのぼり、マネする人があらわれるとか、そういうレベルを目指すとかになるんでしょうか。やはり地味なのが、たのしさを遠ざけてるんですかね。難しいですね。

周りのみんなに聞いてみても、冷静に考えると将棋の何が楽しいのかを説明できる人はいませんでした。先日発売された「教養として将棋」という本に、なぜ将棋はたのしいのかを解説するところがありましたが、あの解説を読んでの感想は、こういう説明にしないといけない時点で、もう一般の人が楽しいと感じるのは不可能なんじゃないかと、悲しさがわいたというものですが、もちろん書籍としても、書かれている先生たちみなさんすばらしいんですが、やっぱり理屈になりがちですよね。将棋って。

言語的な説明や意味なんていらない魅力、これがあるものがやっぱりみんなを魅了するんですよね。インスタやSNSなんてまさにその最たるもので、ちやほやされる、つながれるっていうのは、みんなが楽しいと思うものですが、それに理屈で説明はいらないですからね。”たのしい”ってすごい奥深いですね。

お金をはらう、そして楽しみをもらう。これが普通の趣味の世界だが将棋はどうだろうか?

ディズニーが好きでディズニーランドに良くいきます。プロ野球が好きで、毎試合見に行きます。そんな趣味を楽しんでいる人は、世の中にはたくさんいるわけです。人生、楽しいことがあるってやっぱり素敵ですよね。そして、これらの趣味の世界でも、お金は使われて、世界を回す原動力のひとつになり、ある人たちの雇用も生み出します。継続するためには、お金をはらうかわりに、楽しみをもらう消費者と、お金をもらう代わりに楽しさを提供する業者が、それぞれ、うまい具合にバランスがとれたときに市場の「成長」や「維持」が実現します。

それに対して将棋はどうだろうか、と考えると非常に特殊です。将棋はほかの趣味と違って、とにかく勉強にしろ、対局して負けたときにしろ、しんどいなーと思うことが多いです。お金はらってしんどい思いする人なんていないわけで、それを超える楽しみを見いだせる一部の人たち、超少数派が市場のベースになっています。

最近はやりの”観る将”については、そういった意味では非常に趣味として健全で、たのしむ、ということに主眼が置かれており、これ構造的には正しい姿だったりします。

将棋の世界って、そう考えるとやはりプロ棋士ってとても重要なわけで、憧れのひとに会えた、一緒に対局してもらえた、みたいなところで満足を提供し、お金が動くようになるっていうのは、すばらしいわけですね。

将棋を指して楽しむ、というのは本当にスタンダードではあるのですが、指して楽しめる人って、そもそも勉強していて、成長を実感し、そして”勝てる”ことが楽しいわけです。勉強しても無駄で、いつも負ける、これが繰り返されて、お金を払って楽しもうなんて人はいないわけです。鬼強いCPU将棋と、100戦やって100敗して、あー、たのしかった、また明日もやろう、このソフト、また新作買いたいなーと思う人などおらず、やっぱり楽しませることを万人に提供しようと思うと、指すことをベースにしていく時点で、限界があります。

そもそもどんだけ勉強しても、相手がより勉強すると、相対的には弱いままであり、勉強が報われることはないわけです。ここもすごい構造として難しいですね。勝つと楽しい、でも、同じメンバー全員が勉強すると、50%の人は、努力したのに楽しくなくなってしまうわけです。しかも、お金をはらう。これは、もう消費者目線で考えるととんでもなくつらいですね。

プロ野球のファンの多くは、野球をまったくやっていない人です。もちろんやっていた人も多くいますが、野球を自分がやっていたから、みたいなところで、ファンの間で変な力関係が働くことはまったくありません。どれだけ、ひいきのチームを愛しているか、という点が重要であり、本人がどれだけ野球をやってきたから、そしてどれだけ成績を残したか、ではありません。野球をやってきた人も、まったくやってこなかった人も、うまい人も、下手な人も、自分が応援するチームが、頑張って、勝つ姿をみて、その感動を共有することが、ファンとしてつながっていれば、それでいいわけですね。

将棋のファンはどうかというと、ここはすごく幅広く分かれますね。共通しているのは、プロの人たちのことは興味がなく、自分がプレーすることに重きを置いている人がいるということ。この人たちは、どんな世界にもいて、ある意味では当然の存在なのですが、この層はどの市場においても消費量が少なく、市場規模は非常に小さなものです。メインはそっちではなく、やはり憧れをもっている人たちです。

ファン向けのグッズ、ファン向けのイベント、こういうものは本来、どの市場でも非常に高い利益を生み、また労働集約型のモデルではなくなるので、利益率も高く、ここが成功するかどうかが、とても重要であるといえます。イベントは二次利用のコンテンツがビジネスとして成立するかどうかがカギで、ただのイベントだけだと、スケールしない、という点で、ここも悩ましいところです。プロ野球であれば、球場に来た人のチケット料金と、ついでに買っていくファングッズ、というだけでなく、そこに加えて放映権であったりが、利益として大きくなるわけです。しかも、ファンがみて、さらにファン化し、しかも一緒に見ている人も刷り込みによってファンとして増殖していくというおまけつきです。見ていて、楽しい、消費もする、さらに顧客も増える、楽しませることができるというのは、どの業界でも重要なことであり、しかも儲かることです。

お金を払って苦しい思いをさせる、これをどうやったらなくせるかは、非常に大きなポイントな気がします。ほんとうに観る将ってすごい大事な存在だかなと思うわけですが、その一方で、一部の将棋に興味はないのかな~という、お気に入りの女流の方たちのイベントにだけ足しげく通う人たちがいることも事実で、あっちの方向で行くと将棋である必要もなくなるわけで、またここも難しいですね。

みんな楽しくなるといいですね。その結果、業界全体が儲かるともっと良いと思います。

もしも将棋が今どきのカードゲームだったら。

将棋っておもしろい。率直にそう思うのですが、残念ながらポケモンカードや遊戯王といったカードゲームなどと比べると(お金を落とすような)ファンは少なく、儲かっていないのが現状です。

逆に言えば、今どきのカードゲーム的な発想で展開をしていったら、すごく儲かってしまって、さらにファンも増えていくのではという逆転の発想で考えてみるのもおもしろいのではという妄想です。

まず最近のカードゲームの特徴としては、以下のようなことがあります。

  1. 買った時にどんなカードが手に入るかはわからない(開けるまでどきどき)
  2. 毎月のように新しい能力カードが登場して、新しい戦略を練る必要がある(強い人が固定化しにくい)
  3. 勝つためには最新の強いカードを手にする必要があり、毎月新しいものを購入する動機づけがある(投資が継続)
  4. カードの絵柄が素敵でコレクション性がある(ライト層もお金を使う)

ざっと考えてみると、こんな感じな特徴があるわけで、つまり、みんなが欲しいと思う強い、新キャラを継続的に登場させて、それを欲しければ、たくさん買ってね、ということです。これを将棋に当てはめて考えてみると、さて、どうなっていくでしょうか。

まず、大会ごとに新しいコマが発売されて、未知な動き、能力を持つことになります。勝ちたいなら、まず買いなさい、となるわけですね。レギュレーションによって、この大会では、このシリーズの駒以外使えません、といったこともでてくるかもしれません。

新発売の玉として使える「右辺ダッシュ玉」は右に3つまで一度に進めるんだぜ、といったことも考えられます。飛車として使える「軍師飛車」であれば、龍になると、盤上の歩がすべて、と金に代わるといったこともあるかもしれません。そんなチートな駒を防ぐために、銀として使える「身代わり銀」なるものがあり、2枚の銀を相手の駒台に置くことで、盤上にある相手の駒をひとつ、対局終了まで使えない状態にするかもしれません。

勝ちたいなら、それはもう手にしないわけにはいかないわけで、狙いの駒がでるまで、たくさん買わざるを得ないですね。

さらに、こうした新キャラを使いこなすために、毎月のように新戦法が登場することになるのでしょう。新戦法を紹介するYoutuberな棋士も増えるかもしれませんし、子どもたちがこぞって見るかもしれません。

もちろん常軌を逸した話ではありますが、それでも「現代のカードゲームだったら」を考えると、将棋がどうして儲からないのかが少しだけ見えてきます。今の主流は”努力だけで勝つ”のではなく、”お金と時間を使えば誰でもある程度は楽しめる”ようにすることに重きを置いているわけです。それこそ、ゲームやらなくても、絵を見ているだけうれしい、コレクションだけで価値がある、なんていうのはその最たるものです。

今の将棋の魅力をちゃんと残しつつ、それでいて関わる人たちが増えていくビジネス圏を広げていける方法が見つかるといいですね。

日本将棋連盟が公益社団法人である以上、将棋をビジネスとして展開し、営利を追い求める別組織が新設されるべきなのではと思う話

すべての順位戦も終わり、この時期は将棋界は少しだけ落ち着き、ゆるりとした時間が流れますね。順位戦終盤の誰が上がるのかというところで、見逃せない一戦が続く毎日は楽しくもありますが、こういったゆるやかな時期もまた、楽しくありますね。

さて、今日はみんなご存知の将棋連盟についてですが、こちら、もう将棋と言ったら将棋連盟、というくらい、日本人であれば全員が思うところではないかと思いますが、将棋発展のためを思った時に気になる「公益社団法人」という位置づけについてです。

これはその名の通り、公益、公共、社会といった観点における利益を追求することが義務付けられている組織であるわけですが、そのため営利的な意味合いが強いものは、承認されるためには組織の外に出す必要があったりします。もちろん将棋連盟も、公益社団法人になるために、営利的な意味合いが強いものを外部に譲渡したり、事業としての内容なども調整が必要だったわけです。その結果、公益社団法人になり、大きな目線で見るとメリットは大きく、すばらしい結果になったともいえます。

しかし、その一方で将棋の”営利”、つまりビジネスとしての本気で取り組むことが構造上、どうしたってできない組織となったということであり、いま、将棋界において、ビジネスを本気で展開して、業界全体をけん引する組織がない状態になっています。もちろん、書籍でいえば譲渡先となったマイナビさんは、”将棋もやっている”という表現が適切な状態にあります。また、将棋ウォーズのHEROZさんなどは、AIをプッシュしているいるわけで、上場企業の宿命である、将来の成長性という点では、ゲーム分野においても世界展開を考えると、チェスと囲碁を成長エンジンにしたいというのは、どう考えても致し方ないところであり、決算説明資料をみても将棋をビジネスのメインとして考えているとはいえない状態にあります。つまり、本気で将棋でビジネスを何とかしようと思っている、それがメインの大きな組織がないということになるわけです。

公益を考え、文化として将棋をおしていく将棋連盟に加えて、将棋をビジネスとしてとにかく利益を生み出す、広げていくことを狙う組織があることは、将棋界を今後も継続させていくためには重要なことなのではと思っています。将棋ビジネスというと、将棋バーや、将棋道場、将棋スクールといった労働集約型の規模を拡大させにくいものがほとんどで、どちらかといえば現状の市場規模はそのまま、市場目線でみていくと現状維持を狙ったものが多いのが現状です。成長という観点をもった、人の欲を利用して育っていく資本主義的な事業プレイヤーがいません。

やはり多くの人に愛されるためには、関係者を増やす必要があります。そのためにも将棋に関わると儲かる、といった側面も作り、本気で将棋が好きな人たちが、将棋に集中できるだけの支援ができる環境を作るということも重要だと思います。

日本ではお金の話をするといやな顔をする方も多いですが、お金自体には善悪はありません。善悪をわけるものは、利益を生み出す過程でみんなを満足させたか、だましたりして不満を与えたかといった点です。そしてその利益を何に使うかです。公益社団法人 日本将棋連盟と双璧をなす、利益を追い求め、より市場規模、プレイヤーを増やすための活動を行う株式会社 日本営利将棋連盟、こういったものもあってもいいんじゃないかと思う次第です。

ものすごい儲かれば、職団戦も無料にできるかもしれません。無料で利用できる将棋サロンが各地に作れるかもしれません。それで利用者、ファンが増えれば、スポンサードする企業も増えて、広告費、協賛費ももっと大きなものになるかもしれません。

現状維持を目標にすると、だいたい縮小していくのが世の常です。もっと長く、そして広く、将棋が愛され、続くといいですね。そのためにも営利、考えるの大切な気がします。

将棋のプロ棋士の収入が10倍になったら将棋はもっと普及するはず

先日の朝日杯の藤井聡太七段、絶好調の渡辺明棋王を下しての2連覇、本当にすごかったですね。すごいすぎて周囲では相当な話題になっていたわけですが、テレビ、新聞など一般メディアの取扱量は明らかに減ってきていて、少し寂しい次第です。

渡辺明棋王なんて、去年から絶好調すぎて、細く、きれいに、すぱっと切れるあの将棋がもどってきていて、もっとここも騒がれてもいいのではとも思うんですが、そんな渡辺明棋王との公式戦初対局なわけで、さらに2連覇なわけですから騒ぐポイントはあるはずですが残念ながら地味な報道であったのが残念でなりません。

さて、ではなぜそうなったのかというと、やはりそろそろ飽きられているとまではいかなくとも、みんな慣れてきてしまっているというのが実態ではないでしょうか。藤井聡太七段が強いことに。でも、そんなのは当然お見通しだからこそ、 話題になりそうな記録係がついていたのに、わりとみんなスルーして話題にならないあたり、少し危機感を感じます。

やはりもっと根本、人気のベースを上げることをしないと、これはいけないのではないかと思うわけですが、そのためにあえて理想論からドリルダウンして考えてみたいと思います。まず、将棋のプロ棋士の収入を10倍にしたらどうなるのかです。ゲーム性はおもしろいところがあるわけですが、ルールを知らない人がみても、何をしているかわからないというのが将棋の最高に難しいところです。そこで、わかりやすく”お金”を使えないかというのは、現代社会においてはわりと機能する気もしています。

毎年年初になると、昨年度の獲得賞金ランキングが発表されますが、あれはニュースになりやすく、多くの人の目につきます。しかし、しかしです。あれをみて、どうかというと、将棋を知らない人たちからは「トップでこの金額か」と残念な反応が返ってきます。やはりプロ野球であったり、Youtuberであったりの収入と比べると、地味に見えてしまうのは致し方ないところです。

じゃあ、想像してみましょう。もし、あの単位が一桁多かったらどうか。みんなはどんな発表をするでしょうか。もちろん、大幅に何かがかわるわけではありませんが、少なくとも「将棋って儲かるんだ」というくらいには多くの人に知ってもらえるうえに、リーチできる幅も広がるはずです。

日本人的に考えると、質素倹約が美徳とされがちですが、人間である以上、多くの人が欲をもっていることは間違いはなく、またその欲を隠すことはできてもなくすことはなかなかできません。そうしたものを利用するためにも既存の枠のなかでの収益を確保していくだけでなく、もっと抜本的に、そして飛躍的にプロ棋士の収入が増える仕組みを作ることは、間接的ではありますが将棋普及にプラスに働くのではないでしょうか。

将棋のプロ棋士の収入を10倍にすることを考えると、タイトル戦を増やすであったり、既存のスポンサーの代わりをみつけるといった、オペレーター的な発想では実現は不可能なはずです。時間効率から考えて、同じ作業量で、10倍を手にできるためには、収益構造自体を大きく見直すところからはじめないと絶対に到達は不可能です。こうしたことをいうと、笑う人が多いというのは将棋界の少しだけ残念な点ですが、だれかがこうしたことを思い、目指す、行動していけば、将棋はもっともっと長く、そして広い世界で愛されるものになれるはずだと信じています。収入、やっぱり大切です。